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● 民宿に乗り上げた船解体へ
東日本大震災で2階建ての民宿の上に乗り上げた状態になっている船が解体されることになりました
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2011/04/25 09:24 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042501000116.html
福島第1原発、外部電源三重化へ がれき撤去も続行
3月24日、小型の無人飛行機が撮影した福島第1原発。左から4号機、3号機、建屋が残る2号機(エア・フォート・サービス提供)
東京電力は25日、福島第1原発で、外部からの電力供給が一部の系統で途絶えても、別系統から供給を続けられるよう1、2号機と5、6号機の電源盤をつなぐ作業を進めた。
1、2号機と3、4号機は既につなげて二重化しており、東電は「相互の切り替えが可能」と説明、これで三重に電源が確保されるという。
東電によると、1、2号機は東北電力から、3、4号機、5、6号機は自社の別々の電線から電力を受けている。
現在は外部からの電力により原子炉への注水は比較的安定しているが、余震でいずれかの電源が切れる恐れもあり、多重化により安全性を高めるという。
原子炉冷却用に水を循環させる装置を設置する場所を空けたり、安全に作業できるようにするため、東電は敷地内のがれき撤去を続行。2号機と4号機の使用済み燃料プールに真水を入れる作業を続けた。
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中日新聞 2011年4月25日 19時52分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011042501000986.html
追加の電源装置、冷却機能に懸念 10社の原発ともんじゅ
柏崎刈羽原発に配備された4500キロワットの電源車(東京電力提供)
写真
東京電力福島第1原発事故を受け、全ての電源が断たれた場合に備えて各電力会社などが新たに配備した電源車や発電機では、ほとんどの原発で原子炉を安定した停止状態にすることはできないことが25日、電力会社などへの取材で分かった。
容量が小さく、原子炉を冷却する装置を一部しか動かせないのが理由。
地震後の福島第1原発と同様に、非常用発電機が使えない場合の代替電源がない状況は事実上、改善されていない。
経済産業省原子力安全・保安院は、緊急安全対策の一つに位置付けているが、こうした状態での運転継続は議論を呼びそうだ。
原発を所有する電力10社と、高速増殖炉もんじゅ(福井県)を持つ日本原子力研究開発機構によると、事故後に電源車や可搬式発電機を原発に配備した。
だがこうした電源で動かせるのは計器類や小規模の注水装置だけで「非常用発電機のバックアップとは言えない」(電力関係者)という。
東京電力だけは、柏崎刈羽原発(新潟県)に配備した4500キロワット1台、500キロワット4台の電源車などで運転中の4基の冷却が可能だとしている。
ガスタービン発電機の設置などで十分な大容量電源が確保できるのは「2012年度初め」(九州電力)、「2年程度」(北陸電力)と比較的時間がかかる施設と、秋―年内という東北電力東通原発(青森県)、日本原子力発電東海第2原発(茨城県)、関西電力、中国電力、「速やかに」(四国電力、原子力機構)などに分かれている。
日本原電によると、敦賀原発2号機(116万キロワット、福井県)の安全な冷却には約3500キロワットが必要だが、配備したのは220キロワットと800キロワットの電源車1台ずつ。
1825キロワットの電源車3台を手配したが、配備は「来年3月ごろまでに」としている。
中部電力は東海地震の震源域にある浜岡原発(静岡県)で、廃炉手続き中の2基を含む5基に追加対策。
現在ある非常用発電機に加え、津波の影響を受けないように海抜約14~30メートルの原子炉建屋屋上などに新たにディーゼル発電機計9台を設置したが、容量が小さいため、さらに敷地内の高台にガスタービン発電機3台を配備する。
北海道電力は、泊原発に3200キロワットの電源車1台を配備したが1~3号機共用のため、2年以内をめどに1台追加するという。
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TBSニュース 2011/04/25 17:50
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4709291.html
旅館の上に観光船、撤去作業始まる
震災による津波で、岩手県大槌町の旅館の上に観光船が乗り上げました。
1か月以上手つかずの状態でしたが、ようやく撤去作業が始まりました。
「2階建ての民宿の上に乗った巨大な観光船。今回、大槌町の津波の象徴ともなったこの観光船の撤去に向けた作業が始まりました」(記者)
大槌町赤浜地区。あの日、町内に押し寄せた津波は、造船所で定期点検中だった観光船「はまゆり」を飲み込みました。
「(はまゆりは)防波堤を乗り越えてここへ来て、(町内を)ぐるっと回ってという感じです」(刈屋秀章さん)
こう話すのは「はまゆり」の船長、刈屋秀章さん。津浪が引いた後、避難先の高台から見たその姿に言葉を失ったといいます。
「今まで海の上の船が民宿の上なので、全然想像がつかない」(刈屋秀章さん)
かつて釜石湾をめぐる遊覧船として使われていた「はまゆり」。
船上では、エサにつられて飛び交うウミネコたちの姿に子供たちの歓声が上がっていました。
ところが今、重さ200トンの船体は旅館の上に。
このため船を所有する釜石市は余震による二次被害の危険もあるとして、撤去することにしたのです。
震災を象徴するモニュメントとして残せないかと言う声も上がっていますが、作業初日の25日、現場には重機が運びこまれ、周辺のガレキを取り除く作業が行われました。
「思い出すのも嫌だし、残っていれば思い出すでしょ」(女性)
「風が強かったり、大きな余震があると落ちたら大変だから(撤去してほしい)」(男性)
船長の刈屋さんも心境は複雑です。
「自分としてはまだ動いてほしいが、大槌町には迷惑かけるし・・・」(刈屋秀章さん)
釜石市では周辺を整地した後、早ければ1週間後には「はまゆり」をクレーンで降ろし、現地で解体を始めたいと話しています。
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ニュースを追いかけて1カ月半となった。
福島原発については今日はみるべきニュースもなかった。
ということは、収まりつつあるということだろう。
ちょっと安心できるようになった。
この6週間ほど、パソコンにつきっきりで過ごした。
少々疲れた。
地震発生からギラード首相の被災地訪問までで一区切り。
その間の大震災の記録は自分なりには残せたと思っている。
== 東日本大震災 ==
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