2011年4月18日月曜日

「低エネ」社会、日本モデルは

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● 日本のエネルギー



毎日新聞 2011年4月16日 2時30分
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110416k0000m070168000c.html

社説:震災後 「低エネ」社会 日本モデルは可能だ

 「3・11」以後、多くの日本人が「日本はもう原発に頼るわけにいかない」と感じたに違いない。
 私たちも同感だ。
 地震国日本が原発と共存するのは無理がある。

 だが、今後進むべき方向が原子力に代わる新たな電源探しのレベルにとどまっては、3・11の歴史的意義を卑小なものにしてしまうだろう。
 あの大災害は自然が私たちの暮らし方の根本に反省を迫っているのであり、ひいては私たちの文明のあり方にも再考を求めている。
 そう受け止めなければ、最高度の「レベル7」に達した災害の意味をとらえたことにならないだろう。

許容限度踏み外す

 昨年の夏、話題はメキシコ湾の海底油田で起きた原油流出事故に集中した。
 あの広い湾が原油でいっぱいになり、大西洋まで流れだすのではないかと世界が震撼(しんかん)した。

 そして今年、東京電力福島第1原子力発電所の放射能汚染事故。
 無論、今回のほうが事態ははるかに深刻だが、このふたつの事故は極めて似通った側面を持つ。

 カナダのエネルギー経済学者ジェフ・ルービン氏は
(1).東京電力とBPというエネルギー巨大企業の管理下で起きた事故であること
(2).いずれも原油枯渇に対応するプロジェクトであること、
をあげている。

 2点目がより重要だ。
 海面から数千メートルもの地点で、サーカスのような危なっかしい石油採掘をなぜBPはやらなければならないのか。
 それは楽に石油掘削ができるところが陸になくなったからだ。
 いま、新規油田の大半が深海である。

 他方の原子力発電。
 これもまた、化石燃料の枯渇あるいはコストの高騰に対処するため、非常なリスクを冒してエネルギーを取り出そうとしている点で、深海油田と本質は変わらない。

 ルービン氏は
 「自然は何かを私たちに語りかけているのではないか」
と言う。
 「何か」とは「もっとエネルギーを」という人間のあくことなき欲望への警告である。

 フランス哲学の内田樹さんは「原発供養」が必要だという。
 「ほんとうに人間が最大限の緊張をもって取り組まなければならないリスクの高い仕事に際しては『超越的なものに向かって祈る』という営みが必須なのである」
と。

 私たちはエネルギーへの激しい渇望に突き動かされて、自然への畏怖(いふ)を忘れ、いつの間にか自然の許容限度を踏み外してしまったのかもしれない。

 今後、日本は強いエネルギー制約下に置かれる
 政府のエネルギー基本政策は2030年までに14基の原発を新設し電源の半分近くを原子力に頼るというものだったが、増設は政治的に不可能になったと思われる。
 それどころか、既存の原発も定期検査で休止した後、地元が再稼働に同意するかどうか予断を許さない。
 原発の今後は非常に危うい。

 この夏の電力需要のピークを計画停電なしで乗り切るため、政府・東電・経済界が需要の「山」をならすプランを練り、供給面では休止中の火力発電所の運転再開を急ぐなど、綱渡りの作戦を展開している。
 しかし、それでも「計画停電」がないとはいえない。
 事態は厳しい。

 原発の比重は低下せざるをえず、当面、天然ガスが代替の主役になるとみられる。
 また、高効率の石炭火力の増設も有力だ。
 石油火力の新設は停止されているが、既存施設の再開も必要だろう。

◇信頼の絆を生かして

 長期的には太陽光や風力による再生可能エネルギーの拡大だ。
 また、日本の送電ネットが東西で事実上分断され、緊急時に電力を融通できない現状も早急に改めるべきだろう。

 日本経済にとってはまことに厳しい状況だ。
 エネルギー多消費型産業の海外移転は加速せざるをえまい。
 雇用への影響も懸念され、日本経済の先行きは楽観できない。

 しかし、過度の悲観論は排し、3・11の意味をもっと前向きにとらえたい。
 エネルギー制約を逆手にとって、日本を低エネルギー社会の先進国に転換していく覇気をふるい起こすべきであろう。

 低エネルギーは低成長を意味し、一般に国民の福利を引き下げるとされている。
 しかし、今度の大災害で諸外国は日本人のさまざまな美徳を絶賛した。
 我慢強さ、助け合い、地域や職場の信頼の絆。
 日本には石油はないがこうした「社会資本」は多量にあり、それを社会の隅々に織り込んでいきたい。

 家庭生活と労働の両立をめざすワーク・ライフ・バランスなども一例であろう。
 家庭生活の平安は金銭の多寡に置き換えられるものでない。
 企業の在り方も採用や人事評価など根本から見直すべきだ。

 窮乏生活をする必要はない。
 浪費を避け、資源の再生につとめ、リサイクルを促進する。
 そして、小型水力発電などでエネルギーの地産地消を可能な限り進めたい。
 分散型の国土形成で防災力を高める。
 エネルギー制約は早晩、ほかの国をも襲う。
 それに先だって低エネルギーでも福利の低下しない日本モデルを構築することこそ、3・11への何よりの鎮魂となるだろう。




毎日新聞 2011年4月15日 0時07分
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110415k0000m070174000c.html

社説:震災後 地震国の原発 政策の大転換を図れ

 いつ、どこで、どれほど大きな地震や津波が起きても不思議はない。
 しかも、それを予測するすべを私たちは持たない。

 日本列島の現実を改めて思い知らされる1カ月だった。

 予測不能な大地震だけでも日本が抱える大きなリスクである。
 その海岸沿いに54基の原発が建ち並ぶ。
 地震と原発の共存がいかにむずかしいか。
 警告は何度も発せられてきた。

 石橋克彦・神戸大名誉教授のように「原発震災」という言葉で惨事を予見してきた科学者もいる。
 しかし、電力会社も政府も「少数派」として退けてきた。
 その帰結が今、私たちが直面する東京電力福島第1原発の深刻な事故である。

◇「想定外」許されぬ

 大地震がもたらした地殻のゆがみは各地に影響を与えている。
 今後の地震活動は、予断を許さない。

 地震国日本は原発と共存できるのか。
 真摯(しんし)に検証した上で、早急に打つべき手を打ちながら、原発政策の大転換を図るしかない。

 まず、誰もが問題だと思うのは津波対策の不備だ。
 06年に改定された原発耐震指針に盛り込まれているが、扱いは非常に軽い。
 新指針に基づく再点検も後回しにされ、東電は点検を終えていない。

 一方で、東海第2原発のように新潟県中越沖地震の後に津波対策を一部強化していたところもある。
 「想定外の津波」という言葉で事故を総括することは許されない。

 事故対応にも疑問は多い。
 79年の米スリーマイル島原発事故をきっかけに、設計の想定を超える事態への対応として「過酷事故対策」が日本でも用意された。

 ところが、今回のようにすべての電源が失われ、原子炉が長期間にわたって冷却不能に陥った場合の具体的備えが東電にはなかった。

 事故対応には初動が何より大事だ。
 にもかかわらず、電源車の用意や、原子炉の換気、海水注入などに手間取った。
 過酷事故対策を運用する準備があったとは思えない。

 当面の課題は、全国の原発で電源確保を確実にすることだ。
 津波対策や耐震強化の見直しも急がねばならない。

 国の規制や監視体制も改革を迫られている。
 監督官庁である原子力安全・保安院が原発推進の立場にある経済産業省に属する矛盾はこれまでも指摘してきた。
 今回の対応にもその矛盾を感じる。
 原子力安全委の存在意義も問われている。
 完全に独立した規制機関を再構築すべきだ。
 ただし、こうした「手当て」を施して良しとするわけにはいかない。

 事故発生後、原子力安全委の班目春樹委員長は
 「割り切らなければ原発は設計できないが、割り切り方が正しくなかった」
と述べた。
 安全委員長の発言として納得できないが、それに加えて疑問が浮かぶ。
 割り切り方を間違えなければ大事故は起きないのか。
 安全規制を厳しくし、設備や緊急時の対応策を整えれば、事足りるのかという点だ。

 これまで、電力会社も政府も、原発は安全装置を何重にも重ねた「多重防護」に守られ、安全だと強調してきた。
 しかし、今回の事故で多重防護のもろさがわかった。
 どこまで安全装置を重ねても絶対の安全はなく、過酷事故対策も事故を収拾できなかったというのが現実だ。

◇依存度下げる決意を

 リスクがあるのは飛行機や列車も同じだという議論もあるだろう。
 しかし、原発は大事故の影響があまりに大きく、長期に及ぶ。
 地震国であるという日本の特性も無視できない。
 予測不能な地震と原発の掛け算のようなリスクを、このまま許容できるとは思えない。

 大震災の影響を考えれば、女川原発など被災した原発の再開も非常に慎重に考えざるをえない。
 今後の原発の新設は事実上不可能だろう。

 こうした現実を踏まえ、大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい。
 既存の原発を一度に廃止することは現実的ではないが、危険度に応じて閉鎖の優先順位をつけ、依存度を減らしていきたい。

 第一に考えるべきは浜岡原発だ。
 近い将来、必ず起きると考えられる東海地震の震源域の真上に建っている。
 今回、複数の震源が連動して巨大地震を起こした。
 東海・東南海・南海が連動して巨大地震・大津波を起こす恐れは見過ごせない。

 老朽化した原発も危険度は高い。
 原発の安全性の知識も地震の知識も進展している。
 古い原発にはその知識を反映しにくい。

 日本は電力の3割を原発に依存してきた。
 安定した電源として擁護論は強い。
 原発なくして日本の経済が成り立たないのではないかという懸念もある。

 しかし、経済と安全をてんびんにかけた結果としての原発震災を直視したい。
 最終的には国民の判断ではあるが、原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。

 そのためには、温暖化対策で注目された再生可能エネルギーの促進や低エネルギー社会の実現がひとつの鍵となるはずだ。
 地震国日本に適した電源と、それに基づく暮らし方を、今こそ探っていく時だ。


 わかりやすい社説である。
 まさにこのとおりであろう。
 ただ「窮乏生活をする必要はない」という意味がわからない。
 すでに窮乏ははじまっている。
 ビンボウのさらに下位にあるのが窮乏なら理解できる。
 ビンボウもどのレベルをもってしてビンボウというかもいまのところ定かではない。
 ただ、いまと同じ豊かさは受けられない、ということだけは確かである。
 今の豊かさを飽食とすればビンボウはない。
 でも、それが定常だとすれば、ビンボウはある。
 心の持ち方に過ぎないが。



2011/04/19 23:36 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041901001138.html

イタリア政府、原発再開を断念 国民投票前に反対強く

 【ローマ共同】イタリア政府は19日、同国の原発再開に関する議論を無期限で凍結することを上院に伝えた。
 これまでは凍結期間を1年間としていた。
 事実上、再開を断念したとみられる。福島第1原発の事故を受けて反対世論が高まり、再開の是非を問う6月の国民投票での敗北が懸念されていた。

 これで6月12、13日に予定されていた国民投票は実施されない公算が大きくなった。
 イタリア政府は3月23日、原発再開の候補地選定などについて1年間、議論を凍結することを決めていた。

 イタリアは旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を受けて1987年に国民投票で原発廃止を決定。
 しかしエネルギー需要の80%以上を輸入に頼っていることから、ベルルスコーニ政権は再開方針を表明。
 ことし1月、憲法裁判所が野党の求めに応じて国民投票実施を認める判断を下した。







== 東日本大震災 == 



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